ね こ ろ ぐ

イヌのココロを持ったネコ。イタリア暮らし。ドラマチックな毎日をつづっています。

わからんもん同志 ♥

 

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昨日のフィレンツェ

川面が高く、雲が低い。

今日は午後晴れ間が出て、この低い雲は雨雲ではない。

でも明日の予報も雨マーク!!

 

 

言葉について深くない考察を書いたけれど、テレパシーでわかるってこともよくある。(また何をバカなこと言ってるんだ、と思うでしょうが…)

母などは、ほとんどイタリア語はわからない。

勢いのいい、イタリア語を聞いていると

『喧嘩してるみたい…』

という。

でも、その母と、何人かの私の友人はテレパシーで会話ができる。

ほとんどのイタリア人の友達というのは日本語はできない。

年代によっては簡単な英会話もできない。

そのあたり、まったく日本と同じ。

でも、同じ場所にいて、言語による会話ができないはずの彼らが、いろんなことをわかりあい、しっかり会話しているのが不思議。

母は、『わからんもん同志 ♥』というが、

このレベルの人たちのほうが、このテレパシーの能力を持っているように思う。

これを私は、母のテレパシーによる会話、と呼んでいる。(^_^)

 

似たようなことは、特に車を運転しているときにおこる。

車を運転する、という共通の行動のもとだから余計にそう感じるのかもしれないけれど、

『あ、この人は割り込みたがってる。』

とか、

『まがってくるぞ!!』

とか、まだ指示器を出したり、してなくても、不思議とわかるものである。

車の運転というのは、見ず知らずの人間が、相手も、交通ルールを守るものと無言の信頼関係のもとに行われる、とってーもリスクの高いことですよね。

こわいこわい。

 

わたしは、下書きをするでもなく、そのとき思ったことだけをつらつらと、

それに次々と関係のないことが頭に浮かぶものだから、内容がとりとめもないものになってしまいがちで、

それなのに、定期的に読んでくれる人もいて、お星さまなどいただいたりするものだから、ブログなんてづつかないだろうと思っていたのだけれど、半年、続いてしまいました。

バーチャルの世界で文章からだけでもキャラクターというのはかなりわかるものなんだと、面白かったり、怖かったり。

これもテレパシーの1種でしょうか??

 

うーん、『自分』というのは、なかなか隠せないもんですね。

ぜひお目にかかってみたいイヌさんたちや、ちょっと会うのが怖いネコさんたち、そして少年たちよ!!

そして、食べてみたいおべんたう、触れてみたいうさぎさん、ころがってるおじさんもいて、会えない、じかに話せない、という片思い的なところが実はよいのかもしれませんね。

いつもありがとう!

(^_^)