ね こ ろ ぐ

イヌのココロを持ったネコ。イタリア暮らし。ドラマチックな毎日をつづっています。

もし世の中がすべて『悪』で埋め尽くされたなら・・・

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Civita di Bagnoregio  遠目には遺跡だけのように見えますが、ココにも人が暮らしています。この新しい道ができるまでは細い山道をぐるりと回って村にたどり着いたようです。

村の入り口に4輪駆動のオートバイと自動車の間みたいな車が止まっていて、それで物資を運んだりもするようです。

よく日本の山岳地方のつり橋を地元の人は自転車や、オートバイで渡っていきますよね。

この村の人もそうなのかな?

自転車でびゅーんと降りるのは気持ちいいかもしれないし、もしかしたら自殺行為になるかもしれませんね!?

 

 

 

今日、小雨降る街中を、郵便局に向かって歩きながら、ふとこんなことを考えた。

もし世の中が悪に乗っ取られ、すべて悪人になったらどうなるんだろう、と・・・

 

郵便物は当然届かないだろうな。(郵便局行く途中だったから…)

 

欲しいものがあっても、わざわざ買わなくても、盗む、とか、強奪するという方法があるから、お金を持つことに意味はなくなるだろうな。

じゃあ、銀行強盗やお金目当てのサギはなくなるか・・・

お店というものも存続しないだろう。

モノの流通が成り立たなくなる。

 

悪の大ボスになって大きなおうちに住もうと思っても、

まず、素材がないし、あったとしても

工事もいい加減にしちゃうから、蛇口はあっても水が出ないとか、コンセントはついていても電気は来てないとか、(現在のイタリアに似ている・・・(>_<))

ちゃんとした工事は期待できない。

それどころかスイッチ入れると、爆発しちゃうとか?!

だってみんな悪人なんだもん。

 

いやいやそれ以前に電気やガスだってコンスタントに供給されることはなくなるだろう。

じゃあ、原始の暮らしに戻ってしまうってことかな。

 

 

うかうか道を歩いているだけでも、ゲームの気分で撃ち殺されるかもしれない。

 

でも、悪の親分はやっぱり、自分の家ではくつろぎたいと思うだろう。そうすると、やっぱり、人を殺しちゃいけないとか、約束は守れとか、仕事はきちんとしろとか、結局、今の世界と同じになっちゃうんだよね。

 

『悪』というのは、それ以上にたくさんの『善』があるから、存在し得るものなんだと・・・

なんで、こんなこと、かんがえたんだろう・・・へんなの (^_^)